京都府最北端の味、のんばらこんにゃく

京都府の最北端。大正時代から引き継がれる味、丹後町乗原(のんばら)の伝統を受け継ぐこんにゃく。

のんばらこんにゃくを守り続ける、和商店の才本和子さん

作り手が今は一人となったのんばらのこんにゃく。生産者であり加工者でもある和商店の才本和子さん(78才)は、のんばらこんにゃくを絶やすことなく未来につなげるために、今もなお、こんにゃくを作り続けています。のんばらこんにゃくの歴史は古く、時は江戸時代まで遡ります。当時は、京都府京都市丹後町の山側に位置するところに乗原(のんばら)と呼ばれる、小さな集落がありました。

のんばらこんにゃくの歴史

のんばらこんにゃくの歴史は古く、時は江戸時代まで遡ります。当時は、京都府京都市丹後町の山側に位置するところに乗原(のんばら)と呼ばれる、小さな集落がありました。その昔、この土地に住む人々は、野山を開墾してたくさんのこんにゃく芋を作っていたそうです。その生産量の多さに、乗原はこんにゃく芋の里と呼ばれるぐらいであったと言われています。当初は、そのこんにゃく芋を、住民が担いで近くの小さな港まで運び、大阪などに販売していたそうです。しかし、日露戦争後に、住民が戻ってきた時には生活も苦しく、現金収入を得るために何が出来るかと考えた時に、こんにゃくを作り販売したことが、のんばらこんにゃくの始まりと言われています。当時は、乗原に住む多くの家で、こんにゃくを作り、各地域ごとに分担を決め販売をして生計を立てたと言われています。

当初は、京丹後北部で当たり前に食べられる程で、美味しいと評判のこんにゃくでした。しかし時代は流れ、のんばらこんにゃくを作る人もどんどん減っていきました。才本さんがのんばらこんにゃくを作るきっかけになったのは、叔父さんがこんにゃくを作っており良く一緒に作られていたそうです。その叔父さんのレシピを受け継ぎ、乗原に住んでいた人の、のんばらこんにゃくのノウハウを受け継ぎ、製造されています。才本さんも乗原でこんにゃくを作っていましたが、今は乗原と全く同じ仕様で加工場を、町場に移して製造しています。更にその加工場の前で、ご自身で芋こんにゃくの畑も作り、生産~加工~販売までを、地元の方にお手伝いを頂きながら、のんばらこんにゃくを絶やすことのないように役割を担っておられます。

のんばらこんにゃくが出来るまで~こんやく芋を茹でる~

加工場では、生芋こんにゃくから作る昔ながらの製法をずっと守り続けています。最初に大きな釜で生芋を茹でます。

のんばらこんにゃくが出来るまで~練ったこんにゃくを型に入れる~

茹でた芋を丁寧に練り、そして手作りの特徴のある長い木型の型に入れて型取ります。

のんばらこんにゃくが出来るまで~こんにゃくを仕上げる~

そして当初から使用している薪釜で、じっくりと茹で上げ商品にしています。

出来上がったこんにゃく

サッと茹でて刺身こんにゃくにも使用できますし、味馴染みも良いので、他の素材とも相性が良いです。ここの釜茹でのこんにゃくは今では非常に希少価値の高いものとなりました。このような工程をたどるので、のんばらこんにゃくは、こんにゃく独特の臭みも少なく、非常に味わい深く、食感もプリっと、もっちりとした歯ごたえがあり、通常のこんにゃくとは異なります。の商品を料理人が使い語ることで、過去から未来につなぎ絶やすことのない商品であってほしい逸品です。

2022/10/ 現在    文/ 金森幸子