おだし、出汁、だし汁。どう考える?

文 中村新

鍋料理で出てくる煮汁は出しなのか?

「はー、ええだし出てるわ~」。

父親が生前、豚の水炊きを食べた後に必ず口走っていた言葉ですが、料理の世界を40年以上も掘り下げてゆくと、「水炊きの汁は、だしなのか、煮汁なのか」という疑問に答えられなくなってしまいました。

数年前に書かせていただいた「からだが喜ぶ和出しのスープ」(世界文化社版)では、自分自身の中で整理がついていたのですが、年月が経ち、また徐々に落ち着かない状態です。(苦笑)

 まず「だし」なのですが、皆さんはどう書きますか?

「出し」、「だし」それとも「出汁」でしょうか・・・。
パソコンのキーボードをたたくと選択肢が三つとも出てきます。
だし(出し)は広辞苑で「出し汁の略」と記載されていまして、出汁は煮出し汁の略とあります。
つまり煮だすことを条件としてだしがありますから、水で一晩かけてうま味を出した「昆布の水出し汁」や「椎茸の出し」は「だし」ではなく、「水だし」というジャンルだと考えます。広辞苑には「水だし」に対する説明はなく、極めて料理の世界のみで使われる言葉と言わざるを得ません。

ここで、だしという言葉を先に整理をしますと、次の様になります。

 加熱を伴って昆布、椎茸などから旨味を出した汁が「出し汁」(だし、出汁、出し)
 加熱を伴わず昆布、椎茸などから旨味を出した汁が「水出し汁」(水だし、水出汁、水出し)

少しすっきりしてきました。皆さんも正確に語る際、そう区別することをお勧めします。

からだが喜ぶ和だしのスープ 中村新(著)

キッチンエヌHP

だしの英語とフランス語の解釈を整理

さて次に、英語とフランス語と日本語の「出し汁」についての比較を検討したいと思います。出しの訳として一般的な辞書から抜き出してみると次の様になります。

辞書で調べると出てくる出し汁の訳
   英語 broth , soup stock
   仏語 fond , bouillon

私はフランス料理の出身ですので、だしといえば直感的にfond(フォン)ですが、他にbouillon(ブイヨン)、jus(ジュ)、fumé(フュメ)なども思い浮かびます。

イギリスの三ツ星レストランで働いていた時、厨房はほぼフランス語だったため上記の4つを使い分けていましたが、ニュージーランド人と厨房で会話する時は英語が必要だったため、veal stock(仔牛の茶色い出し汁)や、vegetable broth(野菜の出し汁)などの経験があります。

自分でも不思議ですが、何故か、vegetable stockとは言いませんでしたし、試しにそう言ってもニュージーランド人の彼は「新、それはstockではなくbrothのニュアンスだよ」と言っていました。

ニューヨークで和食素材の展示会にメーカーとして同行した際、昆布だしを英語表記する際、現地の料理に詳しいコーディネーターが、少し悩みつつ「Kombu Broth」(コンブブロス)と表記したところ、アメリカ人はすんなりと受け入れてくれました。
(そもそもKombuの説明には時間がかかりましたが・・・)。
また、数年前からアメリカではbone broth(ボーンブロス)が滋養になるということで人気ですが、これは家禽や家畜の骨で長時間かけて煮だした汁です。


以前拝読した養老孟司先生の書かれた書物の中で、欧米人と日本人の大きな差に、アルファベットと日本語の表記の差があって、アルファベットにニュアンスを求めることは難しいが、日本の漢字には何種類も読み方があり、情緒的な国民性を反映しているという旨の下りがありました。

確かにそうなのですが、料理の世界では、火力や混ぜ方など些細な違いを込めてそれぞれの単語を使い分けています。
仮にフランス語で「かしわ(鶏肉)の水炊き」を表現するとすれば、Pot-au-feu de volaille(ポットフ・ドゥ・ヴォライユ)でしょうか。では煮汁はBouillon(ブイヨン)かなぁ、と思いますし、決してFond(フォン)ではないと感じます。ブイヨンは滋養のあふれる旨味汁という感覚であり、フォンはソースを作る基本だしという感覚の違い・・・。
水炊きの鍋の中でくつくつと沸騰する汁には、鶏肉や野菜の栄養や美味しさがでて、無論そのまま飲むこともします。ですので、ブイヨンの方がしっくりきます。

使い方などのニュアンスを加味した上で、日本でよく使われる(煮だし作業の入る)「出し汁」を整理して、英語とフランス語に表記しますと次の様になりました。
あくまでも経験上の主観ではありますが、一旦これで落ちを着けたいと思います。

日本語と仏語の表記の方法

●一番出し
英語 dried bonito broth
仏語 bouillon de bonite sèche

●イリコ出し
英語 Iriko broth
仏語 fumé d’Iriko

●昆布だし
英語 kelp broth
仏語 bouillon de Kombu


煮汁と出し汁の差が見えてきた

「BrothとBouillon」、「StockとFond」は日本語で訳すと両方「出し」ですが、正しくは大きく異なります。

前者は、そのものに調味するとすぐにスープとして飲めるものに対して、StockとFondは、煮詰めるとソースのベースになるもの、です。
Bouillon(ブイヨン)を煮詰めてソースを作らないわけではありませんが、やはりブイヨンはスープです。仔牛の骨や肉を色よくオーブン焼きして長時間煮だして取る出し汁にFond de veau(フォンドヴォー)がありますが、これはそのままではスープにはなりえません。つまり、「出し」という言葉は、簡単な調味料を加えるだけでもそのままスープとなるグループと、そうならないグループに分類されることになります。

これを加熱する時間で表現すると、6時間を超えるものと、それより短時間(5時間でも長いですが)で取れるものです。前者は「長時間かけて作る濃厚な煮汁」であるのに対し、後者は「短時間で出来る旨味の利いた汁」といえます。


さらに英語やフランス語の立場から考察した「出し」を整理すると「煮汁」はタレやソースになるもので、「出し汁」は汁物やスープになるものです。
 長時間煮た豚の角煮の汁は「煮汁」、さっと仕上がるハマグリの酒蒸しで出てきた汁は「出し汁」と表現できることとなりました。

 冒頭の疑問であった豚の水炊きの汁は、食べごろの時間であれば「出し汁」であり、呑んで話ばかりしてくたくたに煮詰まったものは既に「煮汁」になっているため、ご飯と混ぜてタレ化した雑炊が完成する、という考え方がもっとも正しいと言えます。


なるほど!鍋料理は1粒で二度おいしい料理なのだ!